Google, Amazon, Apple…我々が超巨大プラットフォームを警戒しなければならない3つの理由

先日、「日本の著作権法をデジタルにアップデートしよう!『海賊版』を取り締まっても意味がない理由5つ」というタイトルで寄稿させていただき、そのなかで、「海賊版を減らすには正規版を普及させるしかない」という趣旨のことを書いた。

こう書くと、「いまAmazonプライムやiTunes Musicなど、正規版でデジタルコンテンツが買えるプラットフォームがどんどんでてきてるよね?」「巨大プラットフォームが流通をすべてコントロールする/そうなってくしかないんじゃないの?」という意見があがる。

たしかにGoogle、Amazonのような「自分でコンテンツを保有しない」「オープンで、フラットな」巨大プラットフォームの勢いはめざましいものがあり、これらプラットフォームがコンテンツの流通を握るようになる未来は想像に難くない。しかしこの未来は、必ずしもアーティストやユーザーにやさしいものになるわけではない。むしろそれらプラットフォームに依存することはユーザーの自由を狭め、クリエイターの地位を下げてしまう。その理由を三つの観点から考察してみた。

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巨大プラットフォームは、クリエイターの地位を下げる

これは以前どこかでドワンゴの川上会長も話していたことだが、AmazonやAppleといった巨大プラットフォームは、コンテンツを買い叩く。というのも、オープンな巨大プラットフォームの目的は「コンテンツを売ること」ではないからだ。彼らの目的は彼ら自身のサービスやハードウェアを売ること。だから必然的に、コンテンツは彼らのサービスを売るために顧客を誘引する道具となってしまう。

以前Apple Musicがローンチしたとき、トライアル期間にアーティストに印税が支払われないことをうけてテイラー・スウィフトが曲をApple Musicから取り下げたという事件があったが、これはまさにこの問題を体現したもの。この事件は、巨大プラットフォームは彼らの一存でかんたんにクリエイターとの契約内容を書き換えられるという事実を今一度教えてくれた。テイラー・スウィフトほどの超トップアーティストならば彼らに対抗することも可能だが、その他すべてのクリエイターはこういったことが起きたときに対抗することもできず、彼らの言いなりになるしかない。実際に2014年にはAmazonが巨大出版社Hachetteを干すという事件も起きている。

ジュリアが欧州議会の著作権レポートで「(権利者でなく)著作者の権利を強化せよ」と求めたのは、マーケットベースのアプローチではクリエイターが不当な契約を突きつけられるおそれがあるからである。

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巨大プラットフォームは、ユーザーをコントロールする

巨大プラットフォームは自分たちの裁量で、ユーザーのコンテンツへのアクセスをコントロールする。一番最近の例ではAmazonプライムが某アニメを全話削除した事件だろうか。 海外の例では2009年にAmazon Kindleからジョージ・オーウェルの「1984年」が強制削除された事件もある(しかもこれ、著作権保護期間の問題も絡んでおり、作品が「1984年」ということもあり、すごい皮肉な事件となった)また、KindleはDRM(Digital Rights Management)をつかい、購入したコンテンツをほかのデバイスで見られないようにしてもいる。

DRMやコンテンツの自主削除自体はどんなプラットフォームもやっている(ていうかむしろ日本のほうがひどいくらい)が、ここでも注意しなければならないのは、Apple,Amazonといった企業はあまりに巨大でユーザーの生活に密接に関わっているために、ユーザーが不当なサービスを受けたときに対抗しづらい、という点だ。たとえばiTunesに曲を1万曲ダウンロードしたあとに突然Apple側の意向でDRMがかけられたとして、その客はほかのサービスに移行するといままでの1万曲をドブに捨てなければならなくなる。したがって、泣く泣くAppleのサービスを使い続けなければならなくなる。このような事態を防ぐために、プラットフォームからの「ユーザー保護・消費者保護」は常に気を配らなくてはならない視点だ。

巨大プラットフォームは、表現を規制する

これは欧米ではあまり議論されることはないが、日本にとっては非常に大きな問題だ。Google, Amazonなどの巨大プラットフォームは彼らの基準に則ってコンテンツの審美を決める。よって、彼らの基準で「ふさわしくない」と考えられたコンテンツは弾かれてしまうのだ。すでにApple StoreのアプリやKindle販売などでもこの問題は起こってきている。

オンラインでの性描写や暴力描写、ヘイトスピーチといった表現をどう規制すべきなのか(あるいは「どのように規制すべきでないのか」)はセンシティブな問題で、さまざまな角度からの熟慮が必要とされる分野だ。ここで重要なのは、その規制の基準が私たちの文化的土壌を持たない、それを考慮しようともしない外資系企業によって決められてしまうことである。とくに日本で人気を博すコンテンツは欧米的な価値観から外れたものが多く、それが海外からの注目を集める「クールジャパン」の源泉となっていることが多い。巨大プラットフォームに依存しすぎると、こういったナンセンスなコンテンツが弾かれ、日本のコンテンツの魅力が伝わりづらくなる可能性が高い。

 

以上、「コンテンツとプラットフォーム」という観点から私たちがなぜこれらを警戒する必要があるか、書いてみた。もちろん、AmazonやAppleが「便利」で「私たちの生活の役に立つもの」であることは疑いようがない。しかし一方で、これらの大企業がビッグデータによって私たちの生活を完全に把握できるようになってしまったいま、こういったプラットフォームは私たちになにをし得るのか、という視点を私たちは常に忘れてはならないように思う。


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