EUデジタルクリエイター支援イベントで考えた、中央集権型&分散型カルチャー、そして日本の著作権の未来

今日は、「Backstage with Europe’s creators」という、ヨーロッパのデジタルクリエイターを支援するネットワーキングイベントに行ってきた。

Googleヨーロッパの代表とかも来てた模様。

「デジタル単一市場が完成し、ヨーロッパのどこからでもオンラインサービスへアクセスできるようになれば、欧州文化の可能性は無限のものとなる」

上の言葉を聞いて、ひとつ思ったことがある。

EUは次の成長戦略の柱として「デジタル単一市場」を掲げ、欧州域内のデジタルコンテンツのアクセスを容易にすることで、欧州のポップカルチャーとエンタメコンテンツビジネスの発展を狙っている。ジュリアが関わっているEU著作権法も、デジタルアジェンダも、すべてこの目標に帰するものだ。

しかし、このEUデジタルコンテンツ戦略には、「コンテンツが英語で拡散される」という前提がある。

Youtubeの登録者数世界一のスウェーデン人ユーチューバー、ピューディパイが良い例だろう。彼の動画はすべて英語で、ほぼそのまま英語で楽しまれている。同様に、欧州のトップクリエイターはほとんど英語でコンテンツを発信しているし、現地語で発信している場合でも、英語で翻訳されてから別の言葉に翻訳される(単純にその方が効率的だから)、二段階方式をとっていることが多い。

つまり、カルチャーが英語という言語に中央集権化しているのである。

日本のコンテンツの場合はどうか。日本のコンテンツはもちろん、日本語で発信されている。そしてそれが海外に受け入れられる際も、英語を介してからではなく、そのまま、現地語に翻訳されている。日本アニメヲタクのベトナム人や中国人やポーランド人やサウジアラビア人が日本語から直接ベトナム語や中国語やポーランド語やアラビア語に翻訳する、それが日本のコンテンツの消費のされ方なのだ。

つまり、日本のカルチャーは分散型カルチャーなのである。

4396857417_a357d35c80
中央集権型と分散型の違い

この論理はそのまま、現代の著作権改正議論にスライドする。著作権の例外や制限(ユーザーによるコピー、リミックス、翻訳、引用…の権利)を認めない側の意見として、「この問題は法の問題ではなく、市場の問題だ」というものがある。つまり、企業が著作権の集中管理を進めて、すべてのオンラインコンテンツのライセンシングをかんたんにできるようにすればいいじゃないか、という意見だ(たぶん欧州委員会のデジタル経済担当相のエッティンガー委員はこの考え)。この考え方は、オンラインコンテンツは中央集権的に管理できる、という前提に基づいたものだ。そしてこの前提は、欧米特有の、コンテンツが英語に集約されるという文化的背景から生まれたものである。

日本のカルチャーは分散型である。

だから中央集権的な管理ができるという前提に基づいた著作権は合わないのだ。日本はこの前提を(意味不明なことに)完全に履き違えており、だからこそACTAは破綻したし、これからも類似した条約は破綻するだろう。唯一例外として、アメリカが世界中のコンテンツの監視と管理をゆるされた場合を除いて。

インターネットは分散型ネットワークとして生まれ、爆発的に発展してきた。ここで日本が、生来の意味での「インターネット」に即した、あたらしく先進的な著作権法を世界に先駆けて発信できたら。日本はきっと、最高にクールな国になる。私はそんな夢を見るのである。


6 thoughts on “EUデジタルクリエイター支援イベントで考えた、中央集権型&分散型カルチャー、そして日本の著作権の未来

投稿

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s